ルルドの聖母 【あめのきさき】 (#322)

(仏語版 AVE MARIA DE LOURDES / 英語版 IMMACULATE MARY)

あめのきさき - カトリック聖歌集 #322

天(あめ)のきさき 天(てん)の門  うみの星と 輝きます
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
百合の花と 気高くも  咲き出にし 聖きマリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
奇(くす)しきばら 芳わしく  恵みたもう 愛のみ母
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
病める人に 慰めを  恵みたまえ 愛のみ母
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
行く手 示す あけの星  導きませ み母マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
神のみはは わが望み  今もいつも 守り給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

あ[め]の き[さ]き て[ん]の もー[ん]
う[み]の ほ[し]と か[が]やきま[す]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリ[ア]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリー[ア]
ゆ[り]の は[な]と け[だ]かくー[も]
さ[き]いで[に]し き[よ]き マリ[ア]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリ[ア]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリー[ア]
く[す]しき [ば]ら か[ぐ]わしー[く]
め[ぐ]みた[も]う あ[い]の みは[は]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリ[ア]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリー[ア]
や[め]る ひ[と]に な[ぐ]さめー[を]
め[ぐ]みた[ま]え あ[い]の みは[は]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリ[ア]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリー[ア]
ゆ[く]て し[め]す あ[け]のほー[し]
み[ち]びき[ま]せ み[は]は マリ[ア]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリ[ア]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリー[ア]
か[み]の み[は]は わ[が]のぞー[み]
い[ま]も い[つ]も ま[も]りたま[え]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリ[ア]
ア[ヴェ] ア[ヴェ] ア[ヴェ] マリー[ア]

2月11日 ルルドの聖母

 現在の南フランス、ルルドには4つの教会と多くの病院が建ち、世界中から多くの人々が毎日、巡礼に訪れている。これは1858年2月11日、ベルナデッタ(1844-1879)という14歳の貧しく無学に近い娘のところに聖母マリアが現われたことに始まる。

 まきを採るために出かけた彼女は、小さな洞くつから光が輝き出、その中に真っ白な服装の腕にロザリオを下げた美しい女性を見た。「15日間ここに来るように」とその女性からいわれたベルナデッタは、洞くつに通い続けた。人々は最初冷笑したが、日増しに彼女とともに洞くつに通い、祈るようになった。その間、ベルナデッタは聖母マリアからのメッセージ「罪を償うこと、この場所に聖堂を建てること」などを人々に伝えた。彼女のもとに聖母は18回現われた。

 聖母マリアがベルナデッタに命じて掘らせた泉が人々の病をいやしたことから、いつしかその話が広まった。綿密な調査の結果、カトリック教会はルルドに聖母が現われたことの真正を認めた。

 その後1866年にベルナデッタはヌヴェール愛徳修道会の修道院に入り、病弱な身をイエスにささげながら35歳の生涯を閉じた。現在、彼女の遺体は腐敗しないまま安置されている。1933年、ベルナデッタは聖人に加えられ、記念日は4月16日とされた。
(教会カレンダー)


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