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人類の忘恩に対する償いの祈

(聖心の大祝日にこの祈りを唱える)

Entombment. 1507 / RAFAELLO


いと甘美なるイエズスよ、
主(しゅ)が人々に示し給いし御慈(おんいつく)しみはかえつて
かれらの忘却(ぼうきゃく)と冷淡とけいべつとによりて報いらるるなり。
さればわれらは、主の祭壇の御前(みまえ)にひれ伏し、
いとも愛すべき主の聖心(みこころ)が、あらゆる方面より受け給う、
かくも憎むべき忘恩(ぼうおん)ぼうとくを償(つぐの)わんがために
特に礼拝し奉(たてまつ)る。
▲されどわれらもまた、
かつて主に背(そむ)き奉りたるものなるを思い出し、
深く悲しみて御(おん)あわれみを願い奉る。
われらはおのが罪を償(つぐの)うのみならず、
さらに進んで、救霊(きゅうれい)の途(みち)を遠ざかり、
主の御招(おんまね)きに応ぜずして不信仰を改めざる者、
洗礼の約束を破りて、主の御戒(おんいまし)めの
快きくびきを振り棄てたる人々の罪をも償わんと望み奉る。
すなわちわれらは、世の腐敗せる風俗、むくなる青少年の
霊魂を堕落のふちに導く誘惑、聖日(せいじつ)の無視、
主ならびに主の諸聖人に向けらるる不敬の言葉、
主の代理者たる教皇を始め、
すべての司祭職に対してなさるる侮辱、
至聖(しせい)なる愛の秘蹟(ひせき)に対する
無関心と恐るべきとくせい、
主のさだめ給いし、教会の権利と権威とにさからう、
社会の公然の不義の如き、悲しむべき種々の罪を、
あまねく償い奉らんと欲す。
ああかくの如き罪をば、われらの血潮(ちしお)もて
ことごとく洗い浄(きよ)めんとすべもがな。
われら今ここに、主のいと高き
御霊威(ごれいい)に対する冒辱(ぼうじょく)の償いとして、
主がかつて十字架の上にて御父(おんちち)に献(ささ)げ給い、
なお日ごと祭壇の上にて繰り返し給う償いに、童貞なる聖母、
諸聖人、およびすべての信心深き信者の償いを合わせて献げ奉り、
堅固(けんご)なる信仰、汚れなき生活、福音の戒め、
ことに愛徳(あいとく)の完全なる実行をもつて、
主の聖寵(せいちょう)の助けのもとに、
われらおよび全人類の罪と、
主の大いなる御慈(おんいつく)しみに対する冷淡とを、
わが力の及ばん限り償い、全力を尽して、
主に対する罪人(つみびと)の冒辱(ぼうじょく)を防ぎ、
かつ能(あた)う限り多くの人々を、
主の御許(おんもと)に呼び集めんと心より約束し奉る。
いと慈悲深きイエズスよ、
願わくは、至聖(しせい)童貞なる協償者(きょうしょうしゃ)
マリアの御取次(おんとりつぎ)によりて、
われらが進みて献げ奉る償いの約束を受け給いて、
われらをして死にいたるまで忠実に主に仕え、
天のふるさとにいたる日まで、この決心を固く保たしめ給え。
聖父(ちち)と聖霊と共に世々に生き
かつしろしめし給う主なるかな。アーメン。





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